多田 一晴 【青山学院大学 2019卒】

多田 一晴(24)

トリプレッタ→FC東京U-15むさし→青山学院高等部→青山学院大学→Altona east(オーストラリア5部)→引退

現在 大手IT系企業勤務

名門J下部クラブから青学の系列校へ。大学サッカーを見据えた進路選択

小学校時代は東京の街クラブに所属しながらFC東京のアドバンスクラスに選抜されていたこともあり、FC東京深川への入団を勝ち取る。

しかし、激しいポジション争いもあり、試合に出場することができずユースへの昇格は見送られた。

高校の進路選択にあたり、サッカー名門校へのセレクションも受けたが、青山学院系列の中学校に通っていたこともあり、そのまま内部進学することに決めた。

心の底から、サッカーを楽しみたい。

試合に出られなかった中学3年間。サッカー選手として、挫折感が大きく残った。

試合に出られず苦悩する日々の中で、高校ではチームの中心として試合に出場すること、何より、「心の底からサッカーを楽しみたい」「チームに必要とされる存在でいたい」

と感じていた。

また、青山学院大学サッカー部は関東リーグに所属し、プロ選手を多数輩出している。

先を見据え、大学でもう一度高いレベルでプレーできる道があるため、そのまま内部進学し青山学院高校サッカー部でレベルアップすることに決めた。

一歩ずつ、着実に這い上がった大学サッカー。1年間休学決意し決行したビッグチャレンジ

大学に入り、プロ選手を志し練習に励むも、現実は一番下からのスタートだった。

しかし、地道に努力をかさね、1年ごとにカテゴリーを上げていき、4年次にはついに関東リーグでベンチ入りするまで上り詰める。

それと同時に、海外志向がつよかった彼は、2,3年次から英語コミュニケーションの授業を積極的にとり始め、2年次から海外挑戦の計画も立てていた。

そして4年後期、ついに渡豪を決意する。

彼がオーストラリアに渡った際の目標は

・セミプロ選手として、お金をもらいながらサッカーをしたい

・英語の取得

であった。

サッカー選手なら一度は夢見る、”サッカーで飯を食う”ということ。

オーストラリアのサッカーでは、2~5部相当のリーグのチームと契約すれば大体は出場給としてお金がもらえる。

1か月4試合。

すべての試合に出場すればそれだけで現地で生活できることも珍しくない。

日本人選手は外国人枠として契約を勝ち取らなければならない。

さらに、彼は代理人をつけずに現地でゼロからコネクションを広げ、契約交渉等も自分で行っていたため、かなり難しいチャレンジだった。

持ち前のバイタリティと積極性でつかみ取ったセミプロサッカー選手としての豪州ライフ

しかし、ひょんなことがきっかけで契約をつかみ取る。

試合観戦をしていた際、観客席に飛んできたボールをスーパートラップでおさめ、クールに返したアフリカンがいた。興味本位で話しかけるとその人は5部相当のクラブに所属するセミプロ選手だった。

すっかり意気投合すると、なんといきなりその選手のチームの練習に連れて行ってもらえることに。

そこでのプレーが認められ、契約に至った。

このようにじぶんからSNS などでのコンタクト等のアクションを起こせば、練習参加までならすぐに行けるのがオーストラリアのいいところ。

アグレッシブに自ら動き、見事目標としていたセミプロ契約をつかみ取った。

オーストラリアでは最初の3試合はベンチスタート。しかしその後はチームの中心としてコンスタントに出場。

結果年間22試合すべてに出場した。

同時に、オーストラリアでの1年を最後に引退を決めていたため、引退後のキャリアを見据え語学の勉強を積極的に行った。

新しい同居人が来ては積極的に話しかけ、自ら進んで英語を話さざるを得ない環境を作る。

チームメイトにもなるべく細かい指示を伝えるように心がけ、実践の場で英語を磨いた。

また、英語コミュニケーション力を上げるために資格の勉強にも力を入れた。

中でも比較的コミュニケーションを取ることに重点が置かれるケンブリッジ検定や、日系企業で評価の基準とされることが多いTOEICの勉強を積極的に行っていた。

引退後のキャリア。オーストラリアでの”学び”が次の一歩に

充実した1年間のオーストラリア生活を終え、帰国。

彼はすでに次のキャリアを見据えていた。

就職活動では「自分のことばで伝える」ことを意識。

どれほどいい経験をしていても、どれだけの功績を出していても、自分でアウトプットし相手に伝えないと、就活の場では評価されない。

留学をしたという”経験”だけではなく、現地で何をして、何を考えたのかという”学び”が伝えられるかがカギになる。

現地にいる間はサッカー選手として活躍することを考え、英語も同時進行で勉強する日々。

就活のことは一切考えていなかった。

だからこそ目先の「今」に集中することができたという。

就活やその後のことを見据えて現地で生活するよりも、目の前の課題に集中することで、自然と留学という”経験”に満足するよりも”学び”にフォーカスされる。

「今」の連続が結果として、就活の成功につながったのだ。

現在は大手IT企業のユーザーへのサポートを主に行う部署に配属される。

自ら動き、学び、伝えることで大きな一歩を踏み出した彼から学ぶことは多いだろう。



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